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ここ2回タイトルで「○○へGO!」という表記で書かしてもらっています。
これ皆さんご存じのとおり「電車でGO!」からパクっています…
えっ、ゲームじゃないよ、ハルメンズの「電車でGO」だよ!そういえば昔、巻上公一氏がライブで
「最近、僕たちの曲のタイトルをテレビゲームのタイトルにつかわれるてるなとサエキ君と話をしたんですよ」
ていうコメントを聞きました。この意味、みんなわかるよね!
それはさておき、今月の11日、東京會舘で行われた独演会に行ってきました。
この独演会はツアーとは別物です。普通、コンサートツアーが行われているときは別のライブってしませんよね。実は文珍独演会はツアーの独演会だけではなくそれ以外でもたくさんあちこちで行われているのです。これはすごいね。
今回マネージャーの代役で私が現場に登板することになりました。いままでも何度か代役はありましたが今回は本当に久しぶりです。
もちろん独演会はいつものごとく大爆笑。現場の勘が戻る前にあっというまに終わってしまいました。代役の任務をなんとか無事に終えましたでしょうか?そういえば、代役で東京のNHKに行った時の話を思い出しました。ではいい機会なのでその話をしましょう…もったいづけてその話は次回へ!
今日の1枚…行きの新幹線の車窓から見た富士山
※ごめんね、今写真が手元にないんだ…ちょっとまってね
昨日行われた京都会館での独演会に行って参りました!
といっても残念ながら最初から行けたわけではありません。もともと家が京都なので直接現地入りしようと思ったのですが、どうしても一旦会社に行く用事があったために遅れてしまったのです。
ですが私、我ながらいいことをひらめきました。ついこの前の16日に開通した京都市交通局の地下鉄に乗っていこうと。そうなんです、二条から太秦天神川まで延伸したのです。

さらぴんだね
かつて小学校の時の社会の授業で地元京都の事を勉強した際に、京都市の地下鉄計画の予定図に近い将来太秦から洛西ニュータウンまで路線が書かれておりましたが、それから20年以上たってやっと太秦天神川までのびました。大変だったんだね。
それはともかく、東山駅でおり徒歩約10分、普段はあまり通ることのない白川をのぼると平安神宮の鳥居が見えました。その向こうが京都会館。

冬の枯れ木が京都会館をつつむ…
京都で大きいコンサート、ライブはたいがいこの京都会館で行われます。まさに老舗です。確か学校の行事もここであったような。久しぶりの空間、久しぶりの楽屋口、ちょっとした観光気分にひたれます。
到着したのは15時過ぎ、独演会も大詰めをむかえておりました。スピーカーから、「あの」話が聞こえます。そう、「地獄八景」です。
「京都のお客さんは笑わない」
そんな間違った認識をちょくちょく耳にします。それは間違いです。確かに京都のイメージはお茶漬けの話にあるようにいい意味でも悪い意味でもいろいろありますが、逆に笑いを見る目が肥えているのです。
京都にはかつて都だったということでいろいろな文化が育ちました。芸能もその一つです。それだけに面白いものを見極める力を自然と身に付けているのです。会場は大爆笑でした。まさにそれが答えです。
帰りも地下鉄に乗って帰りました。意外とこの地下鉄、使えそうです。
この前の続き、しかしこの話題でひっぱるね。結論です。
この仕事の窓口を担当していた上司がうさぎさんに連絡するのを忘れていた
そりゃ、うさぎさんが来られなくて当然です。
これには原因があり、上司がうさぎさんのスケジュールをおさえたつもりがおさえていなかったのです。以前こちらに記しましたが、もしおさえていれば最悪上司が連絡をすることを忘れていたとしてもうさぎさんからこの上司に連絡があったはずです。で、上司はおさえたつもりで連絡するのも忘れてしまった、ということです。
この上司、白髪混じりのいつも柔和な表情でトレンチコートがよく似合う吉本では珍しいダンディズムな風貌、通称「吉本の二谷英明」といわれていた方です。
この仕事自体、上司が段取りをして現場は私が行くというものでした。よく考えれば、私自身も上司任せにするのではなく、事前に連絡を入れておけばこミスはおこらなかった筈です。確認のための連絡は何回入れてもいい、前出営業部のS氏が口が酸っぱくなるほど言っていたセリフです。私も未熟でした、今になってよくわかります。
で、後日「吉本の二谷英明」に報告をしました。
「うさぎさんに連絡がいってなくて、急きょ来てもらいました」
「あっそう!わしよりもうさぎがしっかりしているから大丈夫!わっはっは!」
さすが、トラブルにも寛大、いつまでも笑顔が絶えない吉本の二谷英明でした。
今日の1枚…練習用電鍵

ツートト、トツート…
S.F.BOYS 年内ラストライブは12/25ミノヤホールだ!
ちょっと間があきましたが、この前の続きのお話です。年内の独演会は先日の神戸で終了です。来年は1月11日金沢からスタート!それまでの「ストーブリーグ」はこのスタッフブログでお楽しみください。
林家うさぎさんには、案の定広島の件の連絡は伝わっていませんでした。ダメもとで聞きます。
「すみませんけど、今から来てもらうことはできますか?」
「わかりました、大丈夫です。今からそちらに向かいます」
これこそ不幸中の幸い、何とかなりそう、いや何とかしてくれるのです。
ですが、その後の列車は文珍さんと同じ1時間後ののぞみです。これって、文珍さん、うさぎさん双方に対して申し訳し気悪いですよね。でもこれは明らかにこちらのミスです。こちらが悪い。
で、うさぎさんが新大阪に来られました。そこでは文珍さんと顔を合わすことなく(というか、こちらが悪いとわかっているんですが、なるべく顔を合わさないように…)のぞみに乗り込みました。広島について少しでも文珍さんより先に着こうと小走りでタクシー乗り場へ急ぎ、タクシーで会場へ。
現場はすでに準備OKで何の問題もなし。間もなく文珍さんとこのツアーの元締めT君が到着。結局、この一件は文珍さんは知ることなく全て問題なく終わったのです。
先日神戸で林家うさぎさんにお会いした際に、今この話をブログにかいているんですよと言ったところ、うさぎさんもこの「事件」を覚えていらっしゃいました!お互い印象深い出来事だったのでしょうか。
うさぎさんの記憶では、その日は用事で外出先から自宅に帰った時にたまたま、私の電話が鳴ったとのこと。当時はうさぎさんも携帯を持っていなかったようで、もし時間が少しでも前後していれば全くこちらから連絡がとれなかったんでしょうね。また、新大阪に着いた時に、丁度文珍さんが改札を通って行ったのを見られたそうです。そう言われてみればそうだったかもしれません。あらためてこの出来事を掘り返してみるといろいろな事実が出てくるもんです。自分の記憶、人の記憶はそれぞれの場所に残るものなんでしょうね。
さあ、現場はなんの問題もなく終わったこの一件、その根本のある原因とは…つづく
今日の1枚…林家うさぎさん。神戸にて。
今もなお活躍されるその姿、そして笑顔の美しさは昔から全く変わらない…
ツアーが始まりはや3か月、今までなかなか行くことができませんでしたが、昨日神戸文化ホールで行われた独演会に行ってまいりました。
13:00開演というのに満席状態です。すごいですね。まずは楽屋口を探します。あ、これかなと扉をあけるとやはりそうでした。最近は会館とかホールとか行く機会がないのですが、昔の勘がもどった?中に入れて嬉しかったです。

間もなく熱演が…
すでに文珍さんは楽屋にいらっしゃいました。地元神戸とあってたくさんの来客です。さらに楽珍さん、お囃子の内海英華さん、月亭八天さん、林家うさぎさん、林家市楼さん、お茶子で大活躍の文珍さんのご令嬢、の面々が、久しぶりにお会いすることができました。昔話もありつつ楽しくてずっとしゃべってしまいました。こちらの皆さん、そして珍念さん、文春さん、市楼さんの師匠でお父さんでもある林家染語楼さん、この面々は私が昔から本当にお世話になった方々です。皆さんがあって今の私があるのです。お世話になった方々については、またこちらのブログにあらためて書かしていただきます。

緊張解きほぐす楽珍師匠
毎年8・8は見ますが外での独演会をみるのはおよそ10年ぶりです。 この日は
「老婆の休日」
「地獄八景亡者の戯れ」
「七段目」
の三席を披露されました。私は直前まで何の演目をするか聞いていなかったわけで、いわば私の好きなヒカシューのライブに行って「今日は何の曲をするんだろう?」という楽しみです。これってライブに行く時の醍醐味。ご理解いただけますでしょうか?
12月14日は忠臣蔵・吉良邸へのの討ち入りの日、よって「七段目」。この演目の選別は文珍さんの粋な部分ですよ。「七段目」は私がマネージャーのときに「8・8」で披露された演目です。感慨深いですね。あのときよりもさらに面白くなっていました。

舞台には一人、それは最強の「一人」…
3席全部聞き終わった感想ですが
「おもしろい!!」
の一言に尽きます。どうおもしろいかは、独演会に足をお運びくださいね。5秒に一回の笑いの渦がおこります。漫才は2人で笑わせますが、一人でこれだけ多くの観客を笑わせられるものかと思います。カルチャーショックです。カルチャークラブじゃないよ。
終演後、文珍さんは一息つく間もなく伊丹空港へ。また時間が合えばぜひ独演会に足を運びたいと思います。そういえば、うさぎさんの話どうなった?ちょっと待ってね!寛太寛大。
こちらからの続きです。
林家うさぎさんが集合時間になってもこられないという一大事。
トラブルは起こさないように万全の準備をしてもおこってしまうもんです。こういうトラブルが発生したとき、どのように被害を最小限にするか、それが現場をフォローする人間の腕の見せ所と今になって私自身感じる次第です。でも当時はそんな余裕ないですよ。
まずは電話連絡でうさぎさんの所在を確かめます。私が携帯を持っていないので、新大阪の改札から15mほど離れた公衆電話から連絡をとります。実は結構この動きが難しいのです。
というのは、公衆電話が改札から微妙に離れている(一応は改札は見えるが)ために、電話をかけている最中に芸人さんが改札に来る、それを見逃すしまう、そんな行き違いが発生してしまいます。
そうこうしているうちに時間が経っていきます。で、既に集合している芸人さんをどうするか。先に行ってもらうならば、現場でのフォローは誰がするか、または勝手にいってもらうか…
そして現場への連絡。それが業者であったり会社の人間であったり。で、遅れてきた芸人さんの電車の時間を調べたり…
この判断を瞬時に行うのがプロです。芸人が集合時間に遅れるという事象は実は日常茶飯事のことです。ですが今回の件には重大なポイントが3つあります。
・落語家さんはいつも時間にきちっとしているというもの、だからうさぎさんが遅れるはずがない
・先にいく行程でお囃子の準備をしてもらうつもりなのに、これでは準備が出来ない
・遅れれば、1時間遅れののぞみとなり、後発隊の文珍さんといっしょの行程となる
私はこの時点でうすうすいやな予感を感じていました。それは、
遅れる=仕事自体の連絡が伝わっていない→スケジュールをおさえていない
ということです。
普通、おそくとも数日前には会社(社員)から芸人さんに時間を連絡します。また仕事が入っていることは芸人さん自身がもっと前にわかっていること。もし芸人さん自身がが仕事が入っていることがわかっていて、会社から前日まで連絡が無ければ、芸人さんから催促の電話がかかってくるはずです。
携帯かどっちにかけたかは覚えていませんが、うさぎさんに電話連絡をするとすぐに連絡がとれました。
「あの、もう集合時間ですが、今どのあたりにいらっしゃいますか?」
と、聞きたかったのですが、いやな予感がよぎったので
「あの、今日広島で文珍さんの独演会があってお囃子さんでスケジュールが入っているのですけど、聞いておられますか?」
としか聞けませんでした。そして、その答えは、
「いや、聞いていないです」
やはり…つづく
今日の1枚…阪急河原町駅長主催 嵐山ハイキングの案内

行きたいんだよ…理由は言えないけど行きたいんだよ…
S.F.BOYS出演「くらとわら り咲いたる」お疲れ様でした!
私が営業部時代に現場を同行した数少ない「文珍現場」の一つ、広島県民文化センターでの独演会での一コマをご紹介しましょう。
開演は夕方なので15時位に新大阪を出発します。この日はお囃子さんも一緒です。ケースバイケースですが、通常は先に現場での段取りがあるのでお囃子さんとお弟子さんは一足先に出発。それより少し遅れて文珍さんとマネージャーが現場に到着するというのが一つのパターンです。
この日私は先発隊をフォローするために集合場所である新大阪駅の改札で皆を待っていました。
こういった待ち合わせする時、落語家さんはまず遅刻することはありません。さすがです。集合時間の10分前には全員が揃うみたいな。万が一、誰かが遅れていても今の時代は「携帯電話」があります。子供でも携帯を持つ時代です。こういった場合、常識で考えてまずは遅れている人に携帯で連絡をとるようにしますよね。(いまだに携帯は持たない、という頑固な人もいるかもしれませんが)
ですが、当時はまだ携帯が普及し始めたころ。
我が営業部は全国各地への動き回る仕事が多い部署であり、
例えば急に電車が止まったとか、芸人さんが遅刻したとか、そういったトラブルにすぐ対処できるようという事で営業部員の携帯の所持率は比較的高くほぼ全員が持っていたのですが、残念ながら入社2年目になろうとする私にはまだ会社から携帯が与えられていませんでした。会社で何十人のメンバーを抱える一番大所帯の制作部(マネージャーの部署)でも部内で2台しかなく、社員がが変わりばんこで使っていた時代。今では考えられませんね。
それまでに数回、会社から携帯を借りたことがありました。例えば学園祭で一日で何か所も回るという日。その場合、やはり携帯の便利さが重宝されますが、そういう時に限って、私宛にたくさん電話がかかってきました。中には別に急ぎでもない用件もあったり。一瞬、自分自身が仕事していると勘違いしてしまいます。そんな奴、いまだにいるよね。
でこの日、皆が揃う中、お囃子さんのあと一人のメンバーである林家うさぎさんが集合時間になっても来られないのです。つづく。
今日の1枚…ある商店街であるタレントが来たことをPRするチラシ

イカ飯かたくてトラブったんだ…
S.F.BOYS11月4日(日)「くらとわら り咲いたる」大阪桜ノ宮ガラガラ 出演決定!
会社に入ってから2年間は営業部で、3年目に異動になり文珍さんのマネージャーとなるわけですが、その2年の間に私が文珍さんの現場に行くことは非常に少なかったのです。というのも、このツアーの大元締めのT君がほとんど行っていたんですね。
で、その数少ない現場での出来事です。こんどは独演会の現場です。それもお弟子さん、お囃子さんも一緒で非常に賑やかな一行です。
場所は福井県の宮崎村(現 越前町)にある越前陶芸村文化交流会館です。北陸本線・武生駅から車で約30分。少し高台にある環境の素晴らしいところ。冬の季節の中、現場は雪が積もっていました。楽屋に入る前、軽く皆で雪合戦です。リラックスした雰囲気で会場入り。
そこで油断をしていたのでしょうか。
うろ覚えなのですが、楽屋の中で文珍さんに例の事を聞かれたと思います。例の事、とはそう、ですね。
私は事前にするべきことを忘れ、見事に即答することができませんでした。
私の未熟さが現れました。
もちろん文珍さんからもその旨ご指摘を受けました。
独演会は無事終了し、一行は武生駅へ。とっていた切符の時間よりも早めに着いたため、文珍さんほか皆さんの確認を取った後、先ほどの失敗を借りを返そうとすぐさま早い電車に切符を変更へすぐさまみどりの窓口へ。ちょうど駅構内の向い側のホームにおりそこから窓口へ走りました。
結局一本早い電車は満席で変更ならず。で構内に戻ってみると誰もいません。あれっ?どこへと思いきや一行は越前名物・越前そばを食べにお店にいました。おいおい、なんのこっちゃ!
ちなみにここは私の家内の実家のあるところです。その当時はまだ家内と知り合う前の話、今思えば少しばかり宮崎村に縁があったのかもしれませんね。そして越前陶芸村の夏の夜には○○○○○がたくさんいるのです。○○○○○とは?それは教えられないなぁ!まずはみんな行ってみてよ!宮崎村の「花みずき温泉」、これもサイコー!
今日の1枚…宮崎村にある「ワイド」のなべおさみ

なべおさみって吉本に一時いたんだよね
この前の続きです。
颯爽と控室に帰ってきたS氏、その答えは、
「主催は○○(自治体)で、客層は無料で来られている一般の方で、会場は野外の特設ステージで約○○人です、講演時間は60分です」
そうなんです。
「このイベントはどんなものか、調べてきなさい」
この質問に対し文珍さんはこういう答えを求めていたのです。おそらく私が控室から出ている間、どんな答えが返ってくるんだろうとS氏と話をしていたんでしょうな。
要は文珍さんは、どんな環境で講演をしなければいけないのかという事を知りたかったのです。その会場の空気、客層、イベントの趣旨によって話の内容及び組み立て方を考えるのです。そして会場、本番時にも再度現場の空気を読み取り、長い時間もの話ベストの状態でするのです。
私自身まったく質問の意味を理解できませんでした。就職活動上がりだったので、その面接に答えるような答えをしてしまいました。恥ずかしい限りです。
確かに60分しゃべれ、かつおもしろくためになるようなものと言われればこんなに難しいことってないですね。それをいとも簡単にやってしまうのですから神業です。以前私がとある文化教室のようなところで90分、IT企業についてみたいな事について講義をしたことがありました。確かにそれってやりましたけれども無茶苦茶でした。素人にはできません。
その後、話はいろいろと変わり(私は聴いているだけの身分ですが)文珍さんがその時読んでいた本を鞄の中から取り出して紹介してくれました。大学の講義でつかうような難しい本だったと思います。それも一種のカルチャーショックでした。お笑いの人が、私以上に難しい本を読み一般の勉強をもしている。マンガとか週刊誌とかじゃないんだよ。私自身、本を読むのが大嫌いな人間で学校の読書感想文を書くためにしか本を読んだことがないのですから。(唯一読んだ本は野村克也の「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けあり」)
こういったイベントはタレントを現場にフォローするだけが仕事ではありません。タレントにいい仕事をしてもらうため、そして何よりもお客さんに喜んでもらうために些細のことまで気をつかわなければいけません。今回は、そういう情報を事前にタレントさんに伝えるのが吉本のマネージャーの大切な仕事だということを身をもって勉強できたのです。
今日の1枚…07.10.17 鰻谷SUNSUI ヒカシューライブ終了後のロビー

「丁重なおもてなし」大好き
この前の続きです。
控室をでれば、野外のイベントなので人がたくさんいます。
「このイベントはどんなものか、調べてきなさい」
この文珍さんの質問にどう答えようか、まずは会場全体を見回しました。それでも自分の中で答えが見つかりません。ですが答えないといけません、当然ですね。とりあえず見回すだけでなく、全部歩いて見ました。答えを見つけるため、ちょっと時間を潰して控室に戻りました。答える瞬間、私の中でまたもや緊張が走ります。
「このイベントは藤原京ができてから1300年を記念して行われる文化的事業の一環でいろいろな展示物や催事があって…」
おそらくこんなことを答えたと思います。
すると、私が答えている途中で文珍さんは、
「S君、彼に見本をみせてあげなさい」
「はい!」
どうやら私の答えは間違っていたようです。あまりにも軽いフットワークでS氏は控室を出て行きました、そして間もなく控室に戻ってきました。そこでS氏が答えた内容は…つづく
今日の1枚…映画館「千本日活」

今もなお健在な姿は心を震わせる
ついに全国ツアーが始まりました。
予想通りの大盛り上がりの北海道ツアー。ロビーではCDなどいろいろなものを販売しているのでぜひご覧ください!落語を聞いた後の興奮は言葉にできませんぞ。
さらに現役マネージャーのK君からのホットな楽屋情報も届いています。どんどん盛り上がるスタッフブログ、みんな読んでね!

のぼり売って欲しいな
この前の続きです。
会場に一人遅れて到着しました。広い広場または空き地?のような場所がイベント会場です。よくある野外のイベントです。
担当者の方に連れられ控室へ。プレハブの建物です。
先に到着していた文珍、文春、S氏の3名がいます。ここで初めて文珍さんに挨拶をしました。
あまりよく覚えていませんが、緊張する中、普通に挨拶をしました。出身大学とか聞かれたと思います。話術のたけるS氏がフォローしてくれていたと思います。
そんな場の中、文珍さんが私に一つの質問をしました。
「このイベントはどんなものか、調べてきなさい」
実は文珍さんが言ったこと、また言い回しもはっきり覚えていません、がおそらくこういう内容だったと思います。とりあえず、控室から出て調べなさいというニュアンスでした。私自身、質問の意味を確実に理解せぬまままずは控室を出ました。つづく。
今日の1枚…懐かしのB.V.Cの自動販売機

ビーボじゃないよ
本日はこのツアーの会議でした。

あまりの真剣さゆえ、時間はあっという間に過ぎていく…
同期のT君のしきりのもと、定期的に行われているこの会議。運営からプロモーション、グッズなどあらゆる角度でどのようにツアーを展開していくか、熱くそして時には笑いもありながらの真剣な会議です。
会議を終えてからも有志で昼食へ。そこでもこのツアーについての議論は休むことはありませんでした。
もうスタートまで1ヶ月を切りました。この会議が必ずやツアーの成功をまちがいないものにさせるでしょう。
今日の1枚…京都市右京区にある「鳴滝」

鳴滝砥石は何を思う…
先日のスケジュール帳を調べてみると、私がはじめて文珍さんと仕事をご一緒させてもらったのが
「奈良 橿原八木 藤原京創都 1300年」
とかかれた1995年4月26日です。講演の仕事ですね。まぁ、ご一緒といっても上司に連れられていっただけで仕事という仕事はしていませんが。
なんとこれは意外にも私が会社に入ってから2度目の現場です。そんなに早くご一緒しているとは思いもしませんでした。ちなみに最初の現場は4/22の豊田市文化会館です。確か朝7:00に大阪駅前をバスで新喜劇メンバー、スタッフと出発しました。帰りは、家が京都だったので名神高速深草で途中下車しました。懐かしいですね。
今も営業部で健在のS氏と一緒に集合場所の近鉄難波駅へ。先に文春さんが待っていました。当時は講演の前に、弟子の文春さんが前説をしたんですね。
まもなく文珍さんも到着。実はここが初対面です。ですがざわざわする人の多い改札口。まだここではきちんと挨拶ができず4人で近鉄特急で八木OR橿原神宮前へ。
駅を降り改札を出ると、先方担当者が迎えに来ていました。
しかし、迎えの車が乗用車のため4人乗ると後部座席がいっぱいいっぱいです。おそらくイレギュラーで私が増えたことでそういうことになったんでしょうが、座席を詰めてまで乗ることも文珍さん、文春さんに大変失礼な話です。なので3名が先に会場へ、担当者の方が後で迎えに来てくれるというので私だけ一人駅に残ったのです。
今思えば後からタクシーでついていけばよかったのでは?担当者もわざわざこんな若造を迎えに戻ってくるのですから迷惑かけすぎ、効率悪すぎ。でも、そのときは緊張しまくりで、そんなことを考える余裕なんてでこれっぽちもないですわな。
若干不安と何かいやなことがおこりそうな予感をしつつ私だけ一人遅れて向かいました。次回へ続く。
※後日、私が何か文珍さんまたはスタッフにヘマをして罰として駅に置いてきぼりにされたと話が流れましたが、まったくのウソです。吉本の人はこんな話を大きくするのが大好きです。
今日の1枚…山陰線映画村付近で見つけた踏切を知らせる看板

電とパックマンでナイスデザイン
S.F.BOYS2の入社して初めての部署は「イベントプロデュース部」というところでした。わかりやすくいうと「営業部」すなわち各種イベントの企画制作を行う部署です。これには全国各地の公演の実施、またはタレントのブッキングなどの仕事も含まれます。
私にとってこの部署は、全国各地には仕事で行けるわ、いろんな芸人さんと接することはできるわでとても楽しく過ごすことができました。
で、その当時のスケジュール帳です。

営業部の配属は2年間だった

実家で見るデジャヴ、忘れかけてた君の顔が浮かぶ…
まずはここから文珍メモリーを紐解いていきましょう。
今日の1枚…滋賀県で見つけた「750ライダー」早川君
委員長、順平の声が聞こえる…
皆さん、はじめまして!
スタッフブログを担当するS.F.BOYS2です。S.F.BOYS2ってcutemenのCMJKみたいでかっこいいでしょ!
私は今から約10年前、桂文珍さんのマネージャーをしていました。現在縁あってこういうIT系の仕事をしていますが、わたしと文珍さんとの思い出なり、思うことなりをこちらにちょくちょくかきこみさせていただくことになりました。とりいそぎ第1回目は自己紹介です。全国の皆さん、イパネマの娘もみんな待っててね!
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